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北上川をまたぐ

取材先:
御堂観音 / 弓弭の泉

不思議な力を感じる、北上川の源泉を訪ねて

東北随一の北上川は、どこから流れているかご存じですか? 岩手県の中央を北から南に流れるシンボリックな川の源流は、ここ岩手町の御堂観音境内の湧水を源流としていると言われています。また、言い伝えによれば、大同2年(807年)坂上田村麻呂の草創、一族了慶の開基と云われ、御堂観音は天喜5年(1057年)、前九年の役で安倍一族と戦った源義家がこの地に立ち寄った際、ここに清水が湧き出て炎天下に苦しむ兵馬を救ったことに感謝してお堂を建立し、観音像を安置したとされています。

階段を上がると、すっと音が静かになり、境内はどこか神聖な空気が漂っています

質素で趣のある境内に、町の人もよく参拝にくるそう

大木の目の前で手を上にかざすとジーンと指先がピリピリして不思議なパワーを感じるなんて噂も。

境内の奥へと進むと、右正面に雷にうたれた大木の後が。真っ二つに割れたその姿は、どこか自然の威力と壮大さを感じさせる風景です。そして、その大木の根元には、北上川の源泉ともいわれる「弓弭(ゆはず)の泉」があります。「弓弭の泉」の由来にはこんな伝説も残っています。

“平安時代天喜5年6月、源頼義、義家父子率いる朝廷軍はこの地方の豪族・安倍氏を討つため軍を率い、北へと進軍していたところ打続く炎暑に兵馬とも疲弊し、士気も上がらなかった。そこで、源義家はふと思い立ったように、巨大な杉の木を見つけ、祈願し、天に向かい矢を放ち、矢の刺さった大杉の根元を手にしていた弓弭(弓のつるをかける先端部分)で突くと、にわかに清水が湧き出てきた。兵馬ともごくごくと清水を飲み、ついにはみな生き返ったように元気になり、安倍氏を討ち、のちに『前九年の合戦』と言われる長く続いた戦乱を鎮圧した。それ以降、義家が『弓弭』で掘って湧き出た清水は『弓弭の泉』として人々からあがめられた。”

境内の外に出ると、北上川の小さな水脈が流れ出てきているのも見ることができます。地元では、この小さな水脈をまたいで「北上川をまたぐ」遊びをしたり、落ち葉が詰まっていたら人間の手でそれを取り除いて水脈が滞らないようにしたり、小さな自然の源を見守っています。

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