再生可能エネルギー促進の世界の動き
世界の平均気温は産業革命前よりすでに1度上昇してるといわれています。過去を振り返ると、最後の氷河期から産業革命前までに例外を除き約3度~8度の平均気温の変化があったとされていますが、約10万年という時間をかけて起きたことです。現在の短期間の気候変動で環境が大きく変わり、人類を始め多くの生物が危険にさらされていることは間違いのない事実です。
出典/ https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/1028.html
1992年に世界は、国連の下、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを究極の目標とする「気候変動に関する国際連合枠組条約を採択し、地球温暖化対策に世界全体で取り組んでいくことに合意しました。2015年にパリで開かれた「国連気候変動枠組条約締約国会議(通称COP)」で、2020年以降の気候変動問題に関する国際的な枠組み「パリ協定」が合意されました。パリ協定の締結国は、温室効果ガス削減に関する対策が求められています。
2015年9月の国連サミットで採択された、持続可能な開発目標(SDGs)の目標の一つとしても「目標13:気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る」と明記されています。そのため再生可能エネルギーに対する投資や助成も増えてきました。再生可能エネルギー電力については、平成 24 年7月に開始された「再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT 制度)」によって、太陽光発電・風力発電・水力発電・地熱発電による発電電力の長期にわたる買取が保証されるようになったことから、太陽光発電を中心に加速的な普及を見せている中で、日本の火力発電による発電量は74%程度になってきましたが、以前石油由来の資源による発電量は高いままで、水力を除く再生可能エネルギーによる発電量はたった8.1%しかないのです。
そんな中で、SDGsが採択される20年以上も前から、持続可能な町づくりのための政策として再生可能エネルギーの生産と活用に取り組んだ町がありました。エネルギー生産に使用した主な資源は木質バイオマスです。岩手町は多くの森林に恵まれていますが、実際木質バイオマスの活用には多くの課題を抱えています。森林に恵まれた日本がまだ上手く木質バイオマスを活用出来ない中で、どのような技術を用いて、仕組みを整え、再生可能エネルギーの利用率を上げたのでしょうか。
出典 / https://services.osakagas.co.jp/portalc/contents-2/pc/w-energy/report/201509/index.html
オーストリアのギュッシングは人口約4000人のオーストリアの東端に位置する小さな地方自治体です。1995年までの40年間で企業立地件数はゼロで、1998年当時は「オーストリアで最貧」の地域だといわれていました。
ギュッシング市の転機となったのは1992年に町長に就任したペーター・バダシュ氏の改革です。バタッシュ氏は『エネルギーの輸入は数百万ユーロが街から消えるだけで何の利益もない。利用されない木材が何千トンも森で朽ちていくのに、なぜ数千キロも離れたところから石油やガスを運ばなければならないのか疑問に思った。』という考えのもと、強いリーダーシップにより木質バイオマスを使用した地域暖房を開始しました。
1996年にはEUや国と州の支援を受け、再生可能エネルギー研究センターを設立しました。そして最も大きな革命が起きたのは2001年。ギュッシングがウィーンの科学者ヘルマン・ホフバウアー氏の助けを借りて、画期的なバイオマスプラントを稼働させたときです。 同氏は、木材を燃焼させるのではなく、クリーンなガスに変えることで電力を生み出すシステムを開発。これによって二酸化炭素(CO2)の排出量が大幅に削減されました。現在は熱出力8MW、電力出力2MWのプラントを中心に、市内6カ所に地域熱供給プラントを整備。食品ゴミや畜産排泄物を活用した合成天然ガスや、バイオディーゼル燃料も製造するようになりました。
出典/ https://www.zenshoren.or.jp/chiiki/machi/130114-01/130114.html
1990年当初では、ギュッシング市域内だけでも620 万ユーロもの富が域外に流出 し、域内には 65 万ユーロしか回らなかった状態から、使用エネルギー量が 46.6%伸びたの にもかかわらず、域内に 1,360万ユーロもの富が回るようになりました。その差は実に 1,300 万ユーロ(日本円換算約16億円)です。取り組みを始めて20年以上で、安価なエネルギーコストや研究開発環境に魅力を感じた企業50社がギュッシング市に立地しました。新規雇用は1100人にのぼり、税収は1990年の40万ユーロから2005年の120万ユーロの3倍に増加しました。
23年前からスタートしていたSDGs活動
ギュッシングの改革はペーター・バダシュ氏が就任した1992年、SDGsが採択された2015年の23年前からスタートしていました。SDGsの目標の内、特にゴール7「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」とゴール11「住み続けられるまちづくりを」に大きく貢献しています。
ゴール7:「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」
ゴール11:「住み続けられるまちづくりを」
1990年当初、人口流出が止まらなかったギュッシングも今では雇用が増え、町にとどまる人も増えてきたとのことです。
出典/ https://tripnote.jp/austria/hallstatt-sightseeing
ギュッシングが位置するオーストリアは豊富な水資源にも恵まれていることもあり、総発電量の70%は再生可能エネルギーによる発電であり2030年には100%にすることを目標としているそうです。
ですが、自然環境に恵まれるだけでは再生可能エネルギーの利用率は上がりません。住民が自発的に仕組みを理解し、自らの手で再生可能エネルギーを利用できる仕組みを町に取り入れようとする活動があって初めて叶うことです。ギュッシングの町づくりには学ぶ事が多くありそうです。
一方、世界各地で急速に再生可能エネルギーの活用に舵がきられる中で木材の価格の高騰も起きています。サステイナブルな地域経済を創り上げるためには、常に課題と向き合う必要がありそうです。
地域経済の自立がつくる未来
出典/ https://www.smfg.co.jp/sustainability/report/topics/detail104.html
持続可能でよりよい世界を目指すため、世界が一丸となって変わろうとしている今、いろんな変革が各地で起きています。経済のあり方も大きく変わろうとしています。人口4000人のギュッシングでも、20年間で大きな産業を生み、地域経済が循環する街に生まれ変わりました。この一つの自治体の変革のきっかけは目の前にある資源でした。
首長の大きなリーダーシップが突き動かしたのは間違いはないですが、住民の理解があってこそ叶った町づくりだと考えます。目の前の景色に目を向ける事の大切さを改めて感じるきっかけとなりますね。
【出典リンク】
https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/pdf/energy_in_japan2017.pdf
https://www.projectdesign.jp/201503/localenergybiz/001962.php
https://www.maff.go.jp/j/biomass/b-energy/pdf/houkoku_1.pdf
http://www.eonet.ne.jp/~forest-energy/GREEN%20ENERGY%20FILE/Guessingstory.pdf
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/pariskyotei_sintyoku1.html
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/energyissue2019_2.html
http://www.env.go.jp/earth/ondanka/cop/column.html#01
http://www.eonet.ne.jp/~forest-energy/GREEN%20ENERGY%20FILE/Guessingstory.pdf
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/300764.pdf