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岩手町をかたちづくる人々

北上川の源泉、ホッケー、彫刻、みずみずしいキャベツやブルーベリー。岩手町を表す数々のトピックの裏側には、生産者、選手、アーティストといった様々な「人」がいます。そして、今は亡き、そのトピックの発端をつくった芸術家も。この記事では、岩手町を形づくった今昔の人々の姿をご紹介します。

岩手の、日本の、食料供給を支える農家

火山灰質の肥沃な土壌をもつ岩手町は、岩手県内有数の食料供給基地で、その規模は町の農業産出額が約135億円にのぼるほどです。そんな岩手町の農業の主力といえば、なんといってもキャベツ。町のブランドキャベツ「いわて春みどり」は、やわらかくて甘く水々しい、蒸し物や塩系のパスタはもちろん、なんと火を通さずに生で食べてもその甘みを楽しめる春系キャベツです。その美味しさは、専用ドレッシングが発売されるほど。

岩手町とキャベツ(当時のブランド名は「岩手甘藍(いわてかんらん)」)の関係のはじまりは、現在生産量日本一の群馬や長野よりも遥か昔、大正時代に遡ります。明治時代に岩倉具視使節団が欧米諸国を巡った結果組まれた施策「西洋野菜の導入」で、さまざまな西洋野菜の種子が配布。その一つに甘藍(キャベツ)があり、蕃茄(トマト)など他の野菜はなかなか栽培がうまくいかないなか、ほぼ唯一育成に成功したのが、岩手の甘藍でした。

町の総力をあげて生産しながらも、戦後に大発生した病害で岩手甘藍のブランドは失墜。それでも、試行錯誤の末、キャベツに限らず複数種の野菜の生産に成功し、その後再度ブランドキャベツの産地として返り咲き今に至ります。この功績を礎に「総合野菜産地」という現在の岩手町の農業があるといっても過言ではありません。

研究者や市場の方、卸売の営業の方などキャベツ生産を取り巻くさまざまなプレイヤーがいるなかで、晴れの日も雨の日も土と野菜に向き合い続けてきた農家の方々は、こうした試行錯誤と実績を積み重ねてきた主要プレイヤー。今も昔も、岩手町の地盤を支えているのです。

昭和30年代の沼宮内地区の収穫風景(写真所蔵:高橋静子氏)

「ホッケーのまち」を育て上げたのは……

岩手町を表現する言葉のひとつに「ホッケーのまち 岩手町」とあるように、ホッケーは岩手町の町技。ホッケーのオリンピック日本代表選手も輩出している岩手町では、「町民のどの家にもスティックがある」と言われるほど、ホッケーが町の人々の暮らしに浸透しています。

こうした「ホッケーのまち」は、「ホッケーで『人』づくり、『町』づくり」を掲げたまちづくりを実施したことを皮切りにスタートしました。岩手町ホッケー協会を設立し、言い出した自らがモデルになろうと岩手町役場の職員で組成したチームを発足し、大会に出場。なんとデビュー戦で入賞という結果を出したことから、町中にその熱量が伝わったといいます。

少年団や部活動を通して子どもにホッケー活動を促した教師たち、そんな学校をサポートした親たち、後援会を通じて資金や声援で応援した地区の人々、そして近所同士で助け合う岩手町の風土も相まって、気づけば岩手町はすっかり「ホッケーのまち」に!

今も町の人々に愛されるホッケーは、立場の垣根を越えた町中の人々によって育てられたのでした。

優勝回数全国随一の、岩手県立沼宮内高校ホッケー部の練習風景

文化を愛する、彫刻の町の立役者

岩手町を象徴するもののひとつは、町のいたる所で目にする彫刻の数々。公共の場にある作品は130点を超え、子どもから大人まで、そのフォルムで遊んだり写真を撮ったりと、暮らしと地続きにある文化的な風景が広がっています。

なぜこんなにも彫刻が多いのかといえば、岩手町では1973年から2003年まで「岩手町国際石彫シンポジウム」が開催されていたから。国内外のアーティストが当時岩手町に滞在しながら制作した、たくさんの作品が設置されているのです。

そんな「岩手町国際石彫シンポジウム」を立ち上げたのは、沼宮内出身の画家・齋藤忠誠さん(1926-1985)。多摩造形芸術学校(現:多摩美術大学)で学んだのち地元に戻るも、当時岩手県南エリアと比較して県北エリアは芸術運動が少なく、地元に芸術活動を発表する場所をつくろうと、美術を愛する町民や岩手町に赴任してきた教師に呼びかけたそう。

『齋藤忠誠展―具象から抽象へ―』図録より

そうして立ち上がった美術団体「エコール・ド・エヌ(École de N)」。齋藤氏の手記によると、「N」とは、北(仏語:Nord)や沼宮内の頭文字に由来しています。「○○派」といった集団としての主義をもたず、具象・抽象を問わないというユニークな活動理念をもち、展覧会やデッサン会、ゲストを招いた美術講座を開くなど、積極的に岩手町の文化振興活動に取り組んでいました。

そしてエコール・ド・エヌの活動と並行して行っていた「岩手町国際石彫シンポジウム」は、齋藤氏の夢ともいえるプロジェクト。岩手町の黒御影石製の彫刻が、町の人々の暮らしの一部になることを望んでいた齋藤氏は、今でいう「アーティスト・イン・レジデンス(*)」の先駆けのような活動を促進し、現在につづく岩手町の文化の素地をつくったのです。

石神の丘美術館のリニューアルオープン記念として「齋藤忠誠展」が開催(2002)。「繚乱シリーズ」と呼ばれる齋藤氏の抽象画は、和の紋様でありながらどこか異国情緒のあるカラーリングが特徴的

アーティストが一定期間ある土地に滞在し、事業者からの支援のもと常時とは異なる文化環境で作品制作やリサーチ活動を行うこと(参考:AIR_J Webサイト、美術手帖Webサイト

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