サケの大海原の回遊の話を聞けば、いつも見ている北上川がアラスカまでつながっていることを、子どもたちも理解するんです。
北上川源泉のまち、岩手町。岩手県から宮城県に流れる北上川は、全長249㎞の日本で5番目に長い河川で、その源泉は岩手町の北部に位置する御堂観音(みどうかんのん)の境内にある「弓弭(ゆはず)の泉」と言われています。
岩手町では、子どもたちが自然のなかで遊びながら川の生き物や川と私たちの暮らしのつながりを学んでいます。そのプログラムを実施している団体のひとつ、一般社団法人いわて流域ネットワーキングの代表 内田尚宏さんに、岩手町での川の環境教育や、北上川とここで暮らす人々とのつながりについてお話を伺いました。
川には、子どもの感性を引き出す力がある
内田さんがいわて流域ネットワーキングで主に実施しているのは、岩手県全体での環境活動。川にどんな生き物がいるのかを調べる水生生物の調査や環境学習を行い、年間約700名程の子どもたちが参加しているそうです。その狙いは、「川と私たちの暮らしのつながりを子どもたちに知ってほしいから」と内田さんは話します。
一般社団法人いわて流域ネットワーキング 代表 内田尚宏さん(写真提供:内田尚宏)
「子どもの頃から、自分の故郷や身近な自然に親しむということがとても大切だと思っています。20数年この活動をしていますが、やはり幼少期、小学生・中学生の時に自然にからだで触れる、知る、という体験をすることが、環境を考えることに非常に役立つと実感しています」
活動をするなかで自身も岩手で子育てがしたいと考えるようになった内田さんは、お子さんを川に連れて行こうとした時、教育現場における川体験の捉え方の違いを感じることなります。
「川での自然体験のプログラムとして学校にも案内に行ったところ、なぜそういったことをするのか、と問われました。安全対策はきちんと取っていたものの、そもそも参加者自身の川の経験が少ないために学校として責任がとれないと。学校としては『川は危ないから入ってはいけません』と日頃から注意喚起しているわけですが、これでは自然からどんどん遠のいてしまう。禁止するのではなく、『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』じゃないですが、危険を学び、正しい付き合い方を知ればいいのです。そうやって自然と積極的に触れていかなければ、災害時や有事の際に大きな事故になるし、自然の楽しさや大切さを体感することなく大人になってしまう」
大人がなんと言おうと、子どもは魅力的なものを見つければついつい近づいたり、触ったりするもの。内田さんは、水遊びがしたい子どもを川から引き離すのではなく、安全講習から始めることにしました。
「川に子どもたちを導くための手段とも言えますね(笑)。川の環境学習、安全講習として子どもを川に連れていき、生き物との触れ合いを始めたというのがいきさつです。子どもたちは実際川で虫や魚を捕まえると、本当にいきいきするんですよ」
水生生物調査の様子(写真提供:内田尚宏)
内田さんの20数年に及ぶ川の体験プログラムで育った子どもたちは、今はもう立派な大人に。学校で環境問題を専攻し盛岡市役所や岩手県庁に務める人もいるそう。
「僕は、子どもたちの好奇心や探究心、不思議だなと思う気持ちや感性をわーっと引き出す力が、川にはあると思っています。大学に講義をしに行った時など、この前まで川ではしゃいでいた子たちが大きくなって、『あ、うっちーだ!』なんて話しかけてくれるのですが、『昔キャンプで水生生物のこと教わりました』なんてちゃんと憶えていてくれるんですよ。少し前までは、環境問題というと(経済産業を優先しようとする)行政と対立する構造があったりしましたが、そんな“戦い”はせず、次世代を担う子どもを育てた方がいい。彼らも大きくなって仕事をし始めて、そろそろ実を結ぶ頃かもしれません」
行政と連携した継続的な学習で実現する、きれいな川づくり
内田さんが展開する学習プログラムは主に2つ。川遊び中に何かあっても対応できるように学ぶ「安全教室」と、水生生物に対する水質調査を行う「環境学習」です。この水質調査は国が定めたルールに基づいて行われ、学校の授業や地域活動として、川の水生昆虫から水質を判定したりするそう。
川の生物と触れ合いながら水質をチェックした子どもたちは、水質のいい状態、悪い状態を知るなかで「どうすればこの水をもっときれいにできるんだろう?」と考え始めます。
八幡平市内の小学校の水生生物調査と川遊びの様子。川慣れしている子どもはどんどん潜る(写真提供:内田尚宏)
「フィールドでの体験学習は、魚と他の生き物、水生昆虫と魚の関係性や川のつながりについて話し、きれいな川について考えるきっかけをつくるところまで。きれいな川を実現するために色々考えたり調べたり実験して学習に結ぶのは、1日2日では難しいです。継続的な学習を学校で実施できたらいいですね」
岩手町では、現在学校と連携した仕組みづくりを計画中。教育分野では、岩手県立沼宮内高等学校と町との連携が実現しており、今後中学校や小学校、それ以下の子どもの頃から、地域の風土に愛着をもつ人を育てる取り組みを検討しています。
「水質調査では、指標生物という『きれいな水に住む水生生物』『ややきれいな水に住む水生生物』で水質を分類します。その分類上で、岩手町を流れる丹藤川は「ややきれいな水」になることが多い。一方で、北上川源泉の『弓弭(ゆはず)の泉』や、中流の盛岡市を流れる北上川の支流の中津川は、いつ調査しても『きれいな水』です。ちなみに川の終点ともいえる河口の石巻では、北上川はもう存分に汚れている。川が汚れてしまうのは、下水処理のインフラの問題でもあり、人間の問題。以前、汚れた北上川に見慣れている石巻の子どもたちを弓弭の泉に連れて行き水を飲もうと言ったら『えぇ〜〜!?』と驚いていましたよ。その驚きも、考えるいいきっかけです」
弓弭の泉のある御堂観音
貝から見る川の今昔
内田さんは、岩手町が子どもたちが川に親しむ、川に学ぶ機会として、環境学習の時間を作っていることや、岩手町教育委員会が主催する『水源地子ども交流会(里川キャンプ参加体験)』の実施を好評価しています。
里川キャンプ2022の様子(写真提供:内田尚宏)
「里川キャンプのフィールドは本当にきれいな水質で、カワシンジュガイ(川真珠貝)という貝がたくさんいます。カワシンジュガイは、川の上流にしか生息しないヤマメがいないと繁殖・生育しない貝。そんないい川があるのに、当初行政の方は『学校では川に入ってはいけないと言っているので』と子どもたちを川で遊ばせようとしなかった。『こんな機会はもったいない』とスタッフを連れて僕自身が川遊びを始めたら、一部の職員さんが『いいね、やろうよ』と賛同してくれた。結果とても好評で、今のプログラムでも川遊びは続いています。ちなみにその時に賛同してくれたのが、現在の岩手町町長の佐々木さんです」
カワシンジュガイは寿命が長く、今も岩手町を流れる丹藤川には100年ほど生きているであろう10cm程度のカワシンジュガイが生息していると内田さんは言います。一方で、5〜10年程度の個体はなかなか見かけなくなり、それはつまり近年あまり『きれいな川』ではないことを意味しますが、以前はカワシンジュガイがもっと身近だったそう。
二枚貝のカワシンジュガイは、絶滅危惧種の淡水貝。大きくなれば殻の内側はアコヤガイのように美しくなる(写真提供:内田尚宏)
「カワシンジュガイは、食べても噛みきれないくらいかなり固くてあまり美味しくないのですが、いっぱい採れるものだから昔は出汁によく使ったよ、と年配の方から聞いたことがあります。30〜40年前は、『川で貝を取ってきて出汁を取る』という暮らしがあったんですね」
目の前の川を辿れば、世界につながる
北上川の別の顔に、シロザケ(白鮭。秋鮭とも言う)が遡上する景色があります。北上川本川だけでなく支流の中津川や雫石川でも見られ、なんと河口から約200km離れた盛岡市役所の裏で今もその情景は見られます。
「ただ、近年非常に減ってはいますね。北上川で生まれたシロザケは、稚魚の状態で石巻に下りて行って北海道・ベーリング海・アラスカ湾の方まで行き、4年後くらいに大きくなって産卵をしに戻ってきます。しかし、最近サバの北上時期とシロザケの稚魚の北上ルート・時期が重なっているようで、シロザケの稚魚がサバに捕食されてしまっているのではと個人的には捉えています。近年温暖化の影響なのか、おそらく海流の変化で、暖かい海域で生息するサバの生息地に変化があり、最近は岩手でも北海道でもサバが捕れるんです。この件はまだ研究中なのでまだはっきりとはしませんが、北上川のシロザケの数が減っているのは事実です」
魚屋さんで並ぶ魚の種類も変わってしまった、という内田さんは、最後にこのシロザケを足がかりに森・川・海といのちの循環の話をしてくれました。
シロザケの旬は秋。サケの死骸も落ち葉も、川や土の養分になる
「三陸沖で捕れるシロザケは栄養たっぷりで美味しいのですが、川を上ってくるシロザケは産卵の準備としてもう何も食べずにパサパサの身になっています。そんなシロザケの一生や食物連鎖についても子どもたちに伝えていて、ひとつは今話したような『川の上流で生まれ、海で成長して最期にまた生まれ故郷の川に戻ってくる』という話。
もうひとつは、そのシロザケが海の栄養を森へ運んでいるという話です。最近は、陸地にないはずの海由来の窒素が山で観測されるようになり、これはシロザケが海で体に栄養を蓄えて運んできているのではという意見もあります。
川は、森の栄養分を海に伝えているだけではなく、シロザケを通して海の栄養分を森に運んでいる。それを鳥やクマなどが食べ、排泄し、森の土壌を豊かにして、植物が育まれる。植物の栄養が土から川に滲み出て水生昆虫が育ちイワナやヤマメがその虫を食べて……という生態系の話をするわけです。シロザケの大海原の回遊の話を聞けば、子どもたちは日々目にする北上川がアラスカまでつながっていることを理解します。
身近な川で楽しく遊ぶことをきっかけに、自然について当たり前のように考えがめぐるような環境意識が育まれたらうれしいですね」